• Webマガジン

大阪市西区(堀江)で行われる「にし恋マルシェ」に参加してみた。

大阪の西区は集合住宅・人口共に年々増加しており、その高い便利性と住みやすさから「職住近接」に適したエリアとして注目されています。
多くの人々が暮らす西区。しかし、ただ沢山の人々が住んでいるだけでは「良い街」にはなりません。街の魅力を向上させるには住民同士が手をつなぎ、交流できる場所が必要です。

「にし恋マルシェ」は、そんな地域住民の交流の機会となることをめざし、2014年にスタートしたイベントです。
西区に住む人・働く人・学ぶ人・遊ぶ人がコミュニティを作り、魅力的な街をつくることを目的に開催されている「にし恋マルシェ」。今回は、「ただ楽しいだけじゃない」そんな「にし恋マルシェ」の魅力について詳しくご紹介していきたいと思います!

(1)にし恋マルシェとは?

西区(堀江地域)のブランド力の向上と地域交流の促進をめざして2014年から開催されており、今年で8回目を迎えた堀江の名物イベントです。

イベント名である「にし恋」には、「西(にし)区へ来い(恋)!」という、意味が込められているそうです! このイベントにピッタリのユーモア溢れる素敵なタイトルだと思います。

そんな「にし恋マルシェ」は堀江エリアの「堀江公園」、「高台橋 (たかきやばし) 公園」、そして神社の「寶生教(ほうせいきょう)境内」の3会場を舞台として開催され、堀江全体を回遊しながら家族揃って楽しめるイベントです。

同じ地域の人を知り、街の課題を知ってもらい、これからの「地元愛」を根付かせる。そうしてコミュニティを作り安心安全な街をつくることを目的として、本イベントは開催されてきました。

(2)予想を超える盛況ぶりにあたふた!

今年は新型コロナウイルスの影響もあり、客足はそれほど多くないだろうという個人的な予想だったのですが、これが意外にも大盛況でした!
(ちなみに昨年は、コロナ禍により残念ながら開催できませんでした…)

私はガラガラ抽選会の運営を担当していたのですが、開始直後に抽選券を持参してガラガラを回しに来てくださる方が数多く、こちらも早々に「やる気スイッチ」オン!

さらに午後になるにつれてドンドンと人も増えていき、気づけば私達は休む暇なく抽選案内をしておりました。参加者は小さいお子様からご高齢の方々まで幅広く、堀江で暮らす沢山の人々がこのイベントを楽しみにしているということが伝わってきました。

(3)街の魅力が詰まったコンテンツが盛りだくさん!

ミライ会場(高台橋公園)には、西区の飲食店・雑貨屋・アパレルなど、魅力溢れるブースがずらりと並んでいました。またココロ会場(堀江公園)ではアート体験ができるワークショップもあるため、親子で一緒に楽しめるところも「にし恋マルシェ」の良いポイントです! そしてユメ会場では、子育て世帯に嬉しいコンテンツが充実しており、まさに西区(堀江)の実情に沿った内容だと言えます。

ミライ会場のステージでは、西区の専門学生によるショーやアーティストステージ、ダンスパフォーマンスなど、盛りだくさんのコンテンツを見ることができました。

参加者の中には、「ステージに友達が出るから遊びに来た!」「近所の人達が発表を見に来てくれて嬉しかった!」と話している子供達も多く、この「にし恋マルシェ」が住民同士の交流や成果発表の場になっていることを肌で実感しました。

(4)お昼はブースの飲食店で舌鼓!

忙しい合間に、お昼はブースに出店していた魚屋さんの「サバ丼」をいただきました。

なんと言うことでしょう。
忙しすぎて、肝心のサバ丼の写真を撮るのを忘れてしまいました…。

お値段はだいたい500円くらいで、脂の乗ったサバとトッピングのさっぱり紅生姜が最高の組み合わせ。
疲れた身体に染み渡る美味しさでした!

こちらの魚屋さんは、今年堀江にオープンしたばかりのお店だそうで、そういった新しいお店も「にし恋マルシェ」に参加していることに驚きです。このイベントを通して、老舗店舗と新規店舗の交流が生まれることにより、街のコミュニティもさらに広がっていくのではないでしょうか。

サバ丼の写真を取り忘れたので、みずみずしい野菜たちの写真を。

(5)堀江の歴史について

ここまでは「にし恋マルシェ」について書きましたが、ここからは「堀江の歴史」について触れていきたいと思います。
現在の堀江は「おしゃれで活気溢れる街」というイメージですが、以前はどうだったのでしょうか…。

1960年代当時の堀江は、現在のような「おしゃれな街」ではなく一流の家具職人達が軒を並べる全国有数の「家具店街」として栄えていたそうです。
しかし1980年代に入ると、時の流れとともに郊外型の大型家具店などが増え始め、世間の家具に対するニーズは変化していきました。
そして、時代の流れに乗り遅れた堀江の家具店は岐路に立たされることになります…。

街自体の存亡にさえ危機感を覚え始めた店主たちは「このままではいけない!」と奮い立ちます。
そして1992年に「立花通活性化委員会」を発足させ、街を若返らせる計画を開始したのでした。

この計画の一環で「若者に親しみを持ってもらうこと」を目的として、「立花家具通り」の愛称を公募。
そして、約1,000通の応募から選ばれた名称が現在の「ORANGE STREET」でした。

「立花家具通り」改め、「ORANGE STREET」として生まれ変わった街では、さらなる活性化をめざして若者をターゲットにしたフリーマーケットを開催します。
試験的に行われた第1回目の開催では何と約2,000人もの来場者を集め、大成功だったそうです!

こうした委員会の努力が実り、1998年頃から2003年頃にかけてORANGE STREETではおしゃれなショップやカフェが次々とオープン。そして現在へと繋がる「堀江=おしゃれな街」へと見事な変革を遂げ、若者が集まる活気ある街として完全にそのイメージを定着させていきました。

(6)まとめ

現在ではORANGE STREETに限らず、堀江エリアの各地で町の活性化を促す取り組みが行われています。

「にし恋マルシェ」もそれらの取り組みと同様、より良い街をめざして、過去8年間にわたって継続されてきました。
今後も9回、10回と言わず、この先何十年と続いていくこと、そして「にし恋マルシェ」で生まれた輪がより大きく広がり、西区のブランド力の向上と地域交流の促進に繋がっていくことを何よりも願っています。


そして次回の「にし恋マルシェ vol.9」では、
ランチの写真をちゃんと撮影しておきますから〜